2016年 07月 15日
母親業の通知簿
今日は、私の子育ての事を語ろうと思います
いつにもなく長文です^^(覚悟してね)
私は、「ひみつのアッコちゃんのママ」「肝っ玉母さん」という
対照的な母親像がありました。
優しく、美しく、そして、ドンとかまえる白い割烹着が似合う母親に
ずっと憧れていました。
子供が学校から帰宅すると、おやつを用意してあげて、お買い物にいつも一緒に
行くお料理好きなママ
に、なりたいと思っていました。
でも、現実はいじわるなもので、
長女が小学1年すぎから 仕事、仕事と忙しい日々を送ることになり
時には、夜中までも仕事をして 子供たち3人の寝顔を見ながら
反省したり、時にそんな自分を責めてみたりしていました。
なんせ、シングル経験者ですからね^^
生活のために仕事をする
もちろん、泣きそうな自分がいました。(泣いてました)
人は、多分、最初から強くないのです。
生きるために 人は時として強くなるものです
3人の小さな子供に寂しい思いをさせているだろう、、と
いつも思っていました。
ある時、多分、とても辛い時に
「子供を守るのは、私しかいない!」
たとえどんな状況におかれても 子供3人は私が守る!
そして、「私を守るのは、私しかいない!」と気づいてしまいました。
私は、私が守らないといけないんだ~と。
母として 楽しいことばかりではなく、むしろ 当時の私は、なんとか貧しい暮らし、
貧しい心にはなるまいと
あの松田聖子さんが、雑誌のインタビューに答えていました
「ずっと、いつも側にいるだけが母親じゃあない」と
また、あの山口百恵さんも
「小さな子供であっても 人格を尊重し、人前では叱らないし、
手もつながない」と
もしかすると、何十年も前の記憶なので 違っているかもしれませんが^^
子供を一人の人間として、接するという風に理解したのです(都合のよいように理解しました)
それからも、私は仕事、仕事の日々
子供たちとの時間を猛烈に作り、
ダンスの送り迎え、サッカーの当番に合宿、夏のキャンプに学校行事、
とにかく 子供との時間を 惜しみなく作り
他のお母さんに負けないで~の勢いで 踏ん張りました。
つまり、言い訳しません。
仕事がしんどいから ○○できない!なんて、、ね
その当時行っていた美容院のオーナーがいつも言ってました
「いつも 忙しそうですね」と
だから予約なしで、 行く少し前に電話して 席をあけてもらってました。
バタバタと送る日々の中で また、気づきました。
○○ができないのは、子供がいるから、、なんて 思うな!と自分に言い聞かせました。
そして、夢を持ち、それを実現するために
今、アクセクしているのだと。
子育ての通知簿は、すぐにもらえません
だから、母としての評価はどれくらいなのか?もわからず 走ってきました。
それから時は、流れ
忙しくしていた子育て時代に、子供たちは、何を見て、何を感じて
大人になったのか?
ふと思ったのは、もう成人を終えた頃です
次女が最初に結婚しました。
ハワイで挙式をしたので 5人で行く家族旅行最後に記念にもなりました。
寂しい感は全くなく
次女の最高の笑顔と、最愛なる人の横にいる姿をみて
私は、ひとつ重い母親業をおろしたのです
何も間違ってなかった、、と
子育ての通知簿を見たわけです
幸せになってほしい、、とただ、思いました。
長女の結婚式です
この時も、悲しい寂しい涙は一粒もなく
ただ、娘ながら 美しい~と思い、 またひとつ母親業の通知簿をもらいました。
娘たちが、時折くれるレターには、いつも
「輝いているママが大好き」と書いていました。
お手本になるかは別として
夢を持ち、無我夢中で前に進み、戸惑いを繰り返しながら、、
歩いてきた母親業。
間違っていなかったと 今、答えをもらっています
夢を持つ、、母親
いいじゃないですか!
でも、ただの夢はだめ!
その夢を掴むのです。
その様子を子供は 近い場所から見ています
今、孫6人できて 思うことは、
やはり 試行錯誤の子育てだったけど 何一つ 間違っていなかったと。
あの時の決心、決断
必死で駆け抜けた時間。
夢を持ち、掴もうと努力しているママ
大変だけど、
ひとつ、ひとつ、実現していくのです
あの憧れたママ像とは、少し違ったけど、
何度も何度も ギューっと抱きしめた事が 言葉よりも伝える魔法だったように思います
そして、言えます
「あなたたちを守るのは、私ではなく 旦那様だよって」